捨てるためにエリカヴァドゥのCDを聴く。ここ最近聴いたもので一番良かったので捨てずにもう一度寝る前に聴く。
よくよく考え直してみたら、人間一日にできる事は本当に少ない。こういう事も老いてきてようやくわかってくる。老いを受け入れるというよりも老いも、それに抗おうとする若さについても程々に客観的に見れるようになった。とにかく対外的に何もネタにならないしする必要もない。毎日毎日時間は少ない、少しずつ積み重ねるように変えていくしかない。
コンビニでパンと水とブロディと虎の巻を買う。サイレントマジョリティーはここ何年かのクリーンヒット、本当に黙ってた人間をぶん殴るような曲でかんぱいした。強いなーと思った。徹底した笑顔での反撃

書く事はなんでこんなに恥ずかしいんだろうかと思う事にも十分飽きたので、滞りなく永遠に続く日常を本当に繰り返すんだなあとも、最早思わなくもなりながら毎日過ごしている。

そうやって、昔のスターの写真を見て無敵なほどの若さの輝きと比較して現在の顔を見つけた時、スターでこれなら普通の自分はどれだけひどいんだ、良かった時なんてあったのだろうか?という問いを発する今をピークとしてずっと下がり続けている日常の中で健康を気遣ってたまには早く寝たり、白湯飲んで自分が浄化されるイメージとか思い浮かべながら、時間をちゃんと埋めようかなんて意識的に考えたりする。それで勘弁してくれなんて思いながら。

自分は何も残せないななんて、こんな言葉に対応する希望の言葉は、今の世の中には五万とあり、自分に合った言葉を探して自分をやめないようにする。いつもいつもつじこのりこの「mazic」の歌詞が何度も流れる。
結局僕等ら何も成し遂げられなかったたなんてちっともそんなことない

なんて一行をずっと持って、たまに流しては、俺はなにしてんだって本当に一人で口に出してつぶやいても、展開しない生活を確認する。明日からもこのままだこのままなんて言って

歳をとると何をするにも自分の頭の形の悪さに嫌気さしてなにもできなくなる。
なにかやったほうがいい、と全てのメッセージは伝えるけれどそれがそのままできたら、そんな楽な事はない、と思ってなにもできない人間を横からみたなにかが形になるのだとしたら、自分はそういう物を見たいと思う。

才能のなさを嘆く若者たちの一編の光になれるのであれば、それは素敵だ
公開する覚悟もない声が、録られて消される、それがどこか違う場所で鳴れば何かが少しずれたりしただろうか
予測のでない話を歩きながら考えて、イヤフォンで聴く音楽の構造を視覚化して、サンプルの切断面の事を考えながら駅へ行く、その上で鳴る音楽の歌詞は、どこにでも落ちているようなものなのに心を打ち抜き、いつか突然頭の中に降ってくるだろう
道ばたの木の枝でどこまでいけるか、手洗ってノート広げろ

何かを信じるときに捨て身ではいけない、対象に対して失礼だ。
ステージではない彼女ではなく、荒れ果てた阪神馬場ではゴールドシップ信じきらないで何を信じる。
高校の同窓会。高校時代の自分よくがんばった。今の自分、今まで見て聴けたものをちゃんと見て聴けて好きになったり嫌いになれて本当によかった。東京で新しい人に会えて本当によかった。ありがとう。幻滅も、ある変化であるのであればもったいないからちゃんと使い切ろう。電車でマイファイナルファンタジーを聴いた。